なまこの歴史

古くから日本人と関わりのあったなまこ。
日本を代表する文豪たちも、その容姿からは想像できない食感にうなったとか…?

能登なまこ
不気味な色、軟体動物を思わせる芋虫のような形。そのグロテスクな容姿に、食べず嫌いという人も多いなまこ。
文豪、夏目漱石は著書『我輩は猫である』の中で、「はじめてなまこを食べた人の勇気や精神力には敬服するべきだ」と書いています。

歌人
この言葉の裏を返せば、なまこは見た目だけでは計り知れない、奥深い食材だということ。事実、日本人との関わりは深く、約1300年前に編纂された日本最古の歴史書『古事記』の中に「海鼠」という表記で記述が見られるほどです。当時は「海鼠」と書いて「コ」と読んでいたようで、現在の呼び名である「なまこ」とは「生のコ」という意味だったよう。「コ」の「ワタ(腸)」を塩漬けにした「このわた」もその名残です。江戸時代には食材図鑑にも登場し、乾燥したなまこをすりおろして漢方薬にしたほか、中国へも盛んに輸出されました。和歌やことわざの題材にも使われ、俳句の世界では冬の季語として、松尾芭蕉を始めとする多くの文人が作品を残しています。
石崎を始めとする魚種豊富な港に恵まれた七尾も例外ではなく、奈良時代にはすでになまこを食べていて、平城京へ献上したことを示す木簡が見つかっています。地元には、加賀藩の初代藩主、前田利家と正妻まつが幕府の要人をこのわたと酒でもてなして、株をあげたという話も残っています。

石崎港
とはいっても、冷蔵庫などない時代になまこはとても貴重で高価なものでした。親子3代で加工業を営み、物心ついた時からなまこに囲まれて生活してきた、大根小夜子さん(64)によると、同量かもしくはそれ以上の量の氷といっしょになまこを担ぎ、祖父と金沢まで片道2時間をかけて汽車で納品に出かけていたそう。家業とはいってもなまこの卵巣を塩漬けにしたくちこやこのわたはめったに口にできるものではなく、大切なお客様だけにお出しする、憧れの一品だったそうです。

なまこがもっと好きになる!?なまこミニコラム~なまこ神話編~
ギザギザ口はプライドの証?!
『古事記』にこんな説話が残っています。
その昔、天鈿女命(あめのうずめのみこと)が海に棲む魚を集めて「私達の食べ物になって仕えるか」と質問した。
「はい、喜んで!」と即答した魚達の中で唯一、なまこだけが答えなかったので「この口は答えられない口かっ」と小刀で口を裂き、醜い姿に変えた。
それ以来、なまこの口は裂かれた時のままギザギザだという。(※一部個人的見解あり)

『古事記』が編纂されたのは712年。
このような説話が残っていることからも、なまこと日本人との長い歴史を垣間見ることができます。グロテスクなその姿は昔の人にとっても印象的だったのでしょう。
口を裂かれた上に結局食べられているなまこ。なんだか損したような気にもなるお話ですが、私達がなまこや魚達をはじめとするたくさんの命をもらって生きていることをそっと教えてくれているような気もしますね。